手作り家具の製作と販売

■遺品を組み込んだお仏壇のお話 その弐■

組子

さて、お客様から届いた遺品は当時の新聞に包まれていました。

昭和55年 (1980) 10月31日の「多磨都民板」です。

セピア色に染まった41年前の昭和の新聞です。私が19歳、上京した頃です。遥か昔とも感じますし、つい最近の気もします.。私が壱話で書いた「特に昔の人は・・・・」の昔の人とは昭和人(しょうわびと)です。
戦中戦後と昭和を生きた人々は物を大事にします。と言いますか、物を捨てられないんじゃないかと思います。断捨離なる言葉が生まれ、捨てる事が美徳なる風潮もありますが、押入れの天袋に、セピア色の新聞に包まれた得体のしれないものがあってもいいのです。

多磨都民板

東陽町の3LDKで2,420万から。

看護師さんの月給が13万円、ホステスさんの日給が8,000円。

電気工事士・設計積算技術者が15〜25万円。

多磨都民板

高度成長期からバブルへ向かう日本。原宿ホコ天で竹の子族が乱舞し、爆発的なヒットとなったSONYウォークマンを持ち歩くのがナウかった時代。

レコード、カセットテープ、VHS対ベータのビデオ戦争。ハマトラ、ジョン・レノン銃殺事件、、、、、、、。

パソコンもスマホも無い時代、待ち合わせはモアイ像かハチ公前、会えずじまいで大喧嘩。電車の中も会議室もタバコの煙でモークモク。プラットホームにはタンツボなどもありましたね。凄い時代でした。

さて次回はお仏壇のお話に戻ります。・・・・つづく

2021/2/1